いろいろありました。クリスマス。
2000年12月26日今年のクリスマスも終わっちゃいました。
なんかいろいろあって慌しいクリスマスでした。
23日。3家族合同クリスマスパーティを我が家で開催。
24日。お昼は先月亡くなった祖父の49日の法要。
夕方は亡くなった友人のお通夜。
25日。会社に無理いって、半日有給を貰い、友人の葬儀へ。
友人代表で弔辞を読む。
友人の死。無念でなりませんでした。
1番の親友は誰?と聞かれれば、彼の名前を
挙げてもいいほど仲の良かった友人でした。
学生時代はもちろん社会人になってからも。
私の結婚が決まったと連絡すれば、転勤先の広島から
「おめでとう」を言うだけに私に会いにきてくれた彼。
お互いの結婚式にはお互いが友人代表のスピーチを。
私の父親が亡くなったときも飛んできてくれた。
彼に会えたことが私の人生に大きく影響してる。
そんな大事な人でした…。
1年程前に福岡に戻ってきて、また頻繁に会えるように
なって喜んでいたのだが…。
亡くなったと連絡が彼の奥さんから入り、慌てて彼の家へ。
彼の眠っている部屋へ足がすくんで入れませんでした。
一人息子を無くされて、力なく挨拶をされるご両親。
私の顔を見るなり泣き崩れる彼の奥さん。
お父さんが亡くなったことが理解できず、はしゃいでる
5歳と3歳になる彼の息子達。
そして何も言わず眠っている彼。
彼の眠っている部屋のサイドボードに大学の卒業旅行で撮った
記念写真とその旅行のときに買った記念品があった。
写真には彼と私の若かりし頃の姿が…。
奥さん曰く。このサイドボードは彼の宝箱で誰も触っちゃ
いけない場所だったらしい。
ただ、涙が溢れるばかりで、言葉にならなかった…。
彼のご両親や奥さん、子供達になんと言葉をかけていいのか…
本当に言葉が見つからなかった。
愛する人を残して志半ばで、逝ってしまった彼。
いまはただ安らかに眠ってくれることを祈るだけ。
お前の分まで精一杯生きてやる。
そして彼の子供たちには
「君たちのお父さんは素敵な人だったよ」
と教えてあげる。
そして我が子が大きくなったら
「お父さんにはこんな素敵なお友達がいたんだよ」
と自慢してやる。
なんかいろいろあって慌しいクリスマスでした。
23日。3家族合同クリスマスパーティを我が家で開催。
24日。お昼は先月亡くなった祖父の49日の法要。
夕方は亡くなった友人のお通夜。
25日。会社に無理いって、半日有給を貰い、友人の葬儀へ。
友人代表で弔辞を読む。
友人の死。無念でなりませんでした。
1番の親友は誰?と聞かれれば、彼の名前を
挙げてもいいほど仲の良かった友人でした。
学生時代はもちろん社会人になってからも。
私の結婚が決まったと連絡すれば、転勤先の広島から
「おめでとう」を言うだけに私に会いにきてくれた彼。
お互いの結婚式にはお互いが友人代表のスピーチを。
私の父親が亡くなったときも飛んできてくれた。
彼に会えたことが私の人生に大きく影響してる。
そんな大事な人でした…。
1年程前に福岡に戻ってきて、また頻繁に会えるように
なって喜んでいたのだが…。
亡くなったと連絡が彼の奥さんから入り、慌てて彼の家へ。
彼の眠っている部屋へ足がすくんで入れませんでした。
一人息子を無くされて、力なく挨拶をされるご両親。
私の顔を見るなり泣き崩れる彼の奥さん。
お父さんが亡くなったことが理解できず、はしゃいでる
5歳と3歳になる彼の息子達。
そして何も言わず眠っている彼。
彼の眠っている部屋のサイドボードに大学の卒業旅行で撮った
記念写真とその旅行のときに買った記念品があった。
写真には彼と私の若かりし頃の姿が…。
奥さん曰く。このサイドボードは彼の宝箱で誰も触っちゃ
いけない場所だったらしい。
ただ、涙が溢れるばかりで、言葉にならなかった…。
彼のご両親や奥さん、子供達になんと言葉をかけていいのか…
本当に言葉が見つからなかった。
愛する人を残して志半ばで、逝ってしまった彼。
いまはただ安らかに眠ってくれることを祈るだけ。
お前の分まで精一杯生きてやる。
そして彼の子供たちには
「君たちのお父さんは素敵な人だったよ」
と教えてあげる。
そして我が子が大きくなったら
「お父さんにはこんな素敵なお友達がいたんだよ」
と自慢してやる。
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